日々つれづれ、我が思いをつづる(bR)

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2014年12月08日(月)
今年三回目のライブ
 12月6日(土)、今年三回目となるライブに出かけた。場所は、大阪駅から地下鉄御堂筋線・中津駅のそば。これまで生きてきたわが人生の中で初めての出来事となる。しかも三回のうちの二回が同じ方のライブでもある。お聴きしたのは「別府葉子」さん。ブログはこちらを通じてどうぞ。

 ライブでいちばん初めにお聴きしたのが「百万本のバラ」だった。そのまえにブログからYouTubeを通じてこの歌をお聴きしたときに心から感動した。そして、この夏さっそく出かけたという次第。昨日のライブでは「月虹(げっこう)」を歌ってくれた。作詞・作曲をご本人がなさっているわけだが、詩・曲共にほんとに素晴らしい。

 今年も年末恒例の紅白歌合戦が目前となってきた。つい先日、出場歌手が公表されたわけだが芸能人の方々から「どうして? なぜ?」の疑問の声が聞こえてきた。もしかすると、一般の方も、あれ? どうして? と思われているのかもしれない。個人的には、「あの有名歌手の歌声よりも、北山たけし さんの歌い方が好きだ。

 CDが沢山売れたことで、即、実力があると思うのは早計といえる。歌唱力を度外視してCDを買われることもあらからだ。要するに、容姿にほれ込んでのケースということになる。

 私が歌手・別府葉子さんを知るきっかけとなったのが、ブログである。そのブログについても、当初はアメーバブログを使っていたわけだが、突然、FC2ブログに引っ越しをしたことがきっかけとなった。そのおかげで素晴らしい歌声を聴かせていただくこととなった。

 時期は未定ということだが、来年もまた同じところでライブの開催を宣言された。残念ながらまだCDを買っていないので次回は買ってからアイホン&アイポットに彼女の歌を取り込みたいと思っている。
2014年10月07日(火)
絢香さんのコンサート
私の行動に最大の珍事が起きた。それは、こともあろうに綾香さんのコンサートに出向いたのである。コンサート、といえばこの夏シャンソン歌手の歌をを聴くため会場へと出向いたことに次ぐ珍事。今年は、とんでもないことをやらかした。時は9月20日(土)、神戸市三宮駅近くにある神戸国際会館「こくさいホール」において。

 綾香さんのコンサートを聴くことになった動機だが昨年、私の誕生日祝いとして甥っ子がアイポットをプレゼントしてくれたわけだが、それに歌を取り込む段階で姪っ子が綾香さんの歌の存在を教えてくれたことからである。取り込んだ歌は、「はじまりのとき&三日月などの数曲」。そのあと初めて耳にしたとき詩の内容と音楽、なんといっても彼女の歌唱力に驚いた。今でもアイポット&アイフォーンを通じて聴いている。

 そして時がたち今年の夏に入ると姪っ子が「チケットが手に入るかどうか分からないが、綾香のコンサートに行く?」と、いうことになった。即刻OKの返事をした。ところが、ローソンチケットを求めるた段階でチケットが完売済みになってしまったという。ただ、立ち見であれば入場ができる、という。それを承知でチケットを購入してくれた。開催日当日は、午後4時30分からの入場受付に合わせて、立見席であっても少しでも前で聴くために、との姪っ子の経験から午後2時には先着の二人目に立つことになった。ざっと2時間30分も待つことになる。

 時間も少し経つと、綾香さんのグッズを買ったあと、立ち席を求めて溢れた多くの若者が列に並んできた。周りのほとんどが20歳代と思われる女性が目立つ。だからこの雰囲気の中で一人で列に並ぶには、かなりの勇気がいる。まずそのような勇気などない。甥っ子と姪っ子が同伴だからできたことで、二人に感謝の気持ちだった。

 午後4時30分になると係員に呼ばれて館内受付へと誘導された。そこで思わぬ吉報が舞い込んだ。一人五百円追加すれば正規の席が取れる、ということである。姪っ子が即、購入してくれた。会場に入ると、なんと館内横通路(館内前から1/3)の最前列だった。この位置だと顔も確認ができるほどの近い位置だ。我慢したかいがあった。まさに「棚からぼたもち」とはこのことか。もう一点驚いたのが会場だった。クラシック音楽を聴くために入った時と同様の内装・広さであった。3階まであり、なおかつ2、3階にはバルコニー席までせり出してある。素晴らしい会場だった。それを彼女は、満席の観衆にさせたわけだから、これはすごい。

 開演は午後5時。舞台中央、館内薄暗い中、数本の細いレーザー光線が主役の入り口を照らす。この日は「ピアノ&ギター」演奏だけ。シャンソン歌手のときもそうだったが、これだの楽器で歌うのは、かなりの歌唱力がなければ聴衆を納得させることはできない。その意味においても綾香さんの歌唱力も中途半端でないことが理解できる。

 いよいよ開演、中央舞台から綾香さんが姿を見せた。コンサートの始まりだ。一曲目は力強い歌で聴衆の心を虜にした。さすがである。一曲歌い終えると、「今日、初めて来られた方はいますか」と、綾香さんが自らの手を挙げて問いかけることから始まる。次は、10代の人、20代、
30代・・・70台の人、と綾香さんが順番に問いかける。そこで私は思わず、20歳代の人、と問われた時に手を挙げた。かなり厚かましい行為だった。まあ見栄を張った照れ隠しというやつ。

 クラシック音楽(他シャンソン)以外で、過去、北島三郎さん、五木ひろしさん、などのコンサートでしか歌を聴いたことがない(演歌はいずれも無料入場券をいただいたもの)。

 会場は圧倒的に若い方が多いから、会場の熱気と盛り上がり方が違う。コンサートも後半に入ると、全員が総立ちで彼女に同調して歌う。まさに会場が一体となるので、なんだかこちらまで若いエネルギーをいただいた感じになる。やはり若い方のコンサートは会場全体が盛り上がまる。


 コンサートの最後は、リクエストに応えて「みんな星の下」の歌でコンサートの幕を閉じた。約2時間のコンサートだった。姪っ子と甥っ子に感謝。
2014年07月26日(土)
悩ましい慰安婦問題
 韓国・朴槿恵(パク・クネ大統領)が慰安婦問題で、日本を厳しく避難してきた。問題なのは、韓国国内はもとより、米国内にまで慰安婦像を設置させたことだ。中国についても、尖閣諸島問題のあと、中韓が歩調合を合わせかのように日本叩きの宣伝活動に奔走している。両国の行動は異常であり、このことが日本人に対する悪いイメージとして、世界発信で流布されている。このことで、米国内で暮らす日本人でさえも、肩身の狭い思いをされているという。

 ところで、2014年6月28日付のネットニュースのなかで、「開いたパンドラの箱」につてのニュースの見出しが目に付いた。
 
 「朝鮮戦争の休戦後、在韓米軍基地近くの売春街(基地村)で米兵ら相手の売春をしていた韓国女性ら122人が、『韓国政府の厳しい管理下に置かれ、人権を侵害された』として国家賠償訴訟をおこした」というのだ。。全国62の基地村に9935人の女性がいたとされている。つまり、これまで韓国がひた隠しにかくし続けてきた売春問題が露呈しようとしていることから、「開いたパンドラの箱」ということばで表現されたわけだ。

 こともあろうに、「基地村浄化対策」という文章が作成され、朴槿恵大統領の父でもある朴元大統領が署名した、とされているのだ。

 また一方、。全国62の基地村に9935人の女性がいたとされている。オバマ米大統領が今年、2014年4月末に訪韓した際、メディアの問いに日本のことを「甚だしい人権侵害だ・・・」と、世界発信で日本のことを批判をした。

 韓国女性122人の起こした訴訟について、この事実を両国大統はどのように受け止めるのだろうか。これまで日本のことを、虫けらのように避難し続けた。ところが、このことが、結果として両国の恥をさらす結果を招こうとしている。

 もう一点問題なのが、今から50年前のベトナム戦争・1964年〜73年にかけて、韓国はベトナム戦に派兵をしたわけだが、ここで1万人以上とも言われるベトナム民間人を大量虐殺事件を起こしている。 それだけではない。韓国兵がベトナム女性をレイプしたとされている。

 韓国は、日本政府を攻撃していたつもりであったが、日本国民全体をも敵に回す結果になろうとしている。河野洋平氏を提訴するための国民運動も始動しようとしている。その一方で、米カリフォルニア州グレンデール市に設置されている慰安婦像についても、在米日本人らが撤去訴訟を起こすなどなどの動きも出ている。

 戦後70年を迎えようとしている。なのに、いつまでたっても過去の過ちを攻め立てられる。これでは、これから先、日本を支える子供たちにとっても不幸と言える。将来の子どもたちのことを思うのであれば、主張するべきことは、主張しなければならない。でなければ、いつまでたっても、日韓の状況が好転することはない。慰安婦問題は、実に悩ましい問題と言える。

2014年07月08日(火)
間違っていなかった
 不幸にして妹が三人の子どもを連れてシングル・マザーを続けている。このこともあり、三人の子どもと私とのかかわりが強くなっている。自然な流れともいえる。だから、三人の子どもたちは私にとって自分の子どもそのもの。子供たちも「親父、あるいは、おとう」と呼んでくれる。3人の子どものうち2人は、産声を上げた、そのときから我が家で暮らしているわけだから。

 このようなこともあり、誕生日や父の日を迎えると、その都度、何かをプレゼントしてくれる。昨年の誕生日には、京都まで連れて行ってくれた。長女に至っては、私のリクエストに答えて
「岐阜県・白川郷&長野県・上高地」まで連れて行ってくれた。まだ現役の平成19年のことになる。嬉しけれども、本人たちの「小遣いが減るから、もう止めときや、と思うのがいつわざる心境だ。

 幸か不幸か自分でもよくわからないが、どうやら私も生涯独身を貫きとおそうとしている。そこで、時々思う。かりに自分に子どもがいたとしても、三人の子ども達が様々なことをしてくれていることは望めない、と。

 親父が亡くなる数か月前、差し向かいで議論を交わした。親父が私に向かって「早く結婚をしろ」。私は「いやできない」の押し問答。すると、親父は怒り、「家を出る」と言った後、ほんとうに行動に移した。自宅があるのに中古住宅を買ったのだ。ところが不幸にして、そのあとすぐ腎臓を患い、人口透析寸前にして死に至った。

 親父には、「悪いことをした」と思う一方で、それでも私は「間違っていなかった」、と率直に思うのである。

 子供たちは、素直で思いやりのある人間として成長してくれている。このことが何よりも嬉しい。決して裕福とは言えない我が家だが、とにかく健康であることが何よりである。これ以上のことを望むのは、欲張りでしかない。

2014年04月23日(水)
生かされていることに感謝

 事故や事件の起きない日がない。とりわけ4月16日の朝、韓国で起きた旅客船事故についてだ。4月23日現在の犠牲者は、150人、不明者が152人という。この事故を通じてだが、世界の平均寿命70歳まで生き抜くことのむずかしさを考えさせられた。

 「高齢者であれば良かった(私も事実上の高齢者)」、と伝えようとするものではないが、運の悪いことに、犠牲者の多くが未来ある高校生であったことに心が痛む。心からご冥福をお祈りしたい。

 本人の意思に反した死、それがまさに韓国で起きた旅客船事故といえないだろうか。本人達の意思に反して死に至ったわけだから。

 日本国内で起きる事件の犠牲者だけでも、年間、いったい何人になるのだろうか。これが、世界全体の件数となれば、ものすごい数字になるはずだ。さらに、事故や戦争・内戦による犠牲者が加えられる。それに病死もある。これらいずれも、本人の意思に反する死が日常、起きているわけだ。

 翻ってみるに、自殺者の多いことに驚く。平成25年度、内閣府の自殺の統計では、27,283人とされている。自殺も本人の意思に反する行動が起因していることも、ある程度は理解できる。それでも、上記の方たちのことを思うと、なんとなく残念でならない。

 私は過去のブログでも綴ったているが、生きている過程で、楽しいことと苦しいことを比較すると、苦しいことのほうが多いことを記している。それでもなおかつ生かされていることに感謝していることも付け加えている。

 私が田舎で育った時代は、それは貧しくて辛いものがあった。それが、今日まで生かしてもらったことで、PCやスマホ、タブレットまで使うことができる。さらに言えば、自転車で日本一周まですることができた。すべてが、65歳まで生き抜くことができたことの見返りといえる。

 電話の管理が24時間、手元でできる。それに、こうしてPCを使い、ホームページまで開設することまでできる。これほどの贅沢さはない。
 
 生き抜くことは、大変なことだ。でも、生きたくても自分の意思に反して死に至っている人の多いことも事実。そのことを思うと、生かされていることに感謝だ。
  

2014年04月14日(月)
長男の甥っ子

 今年(平成26年)、成人式を迎えたばかりの長男の甥っ子。その甥っ子が、私の弟である社長の会社で面倒を見てもらっている。ほんとに助けられている。感謝の気持ちでいっぱいだ。甥っ子が今の仕事(整備士)で飯を食っていくためには、2級自動車整備士資格を取得する必要がある。まず、その足がかりとして何が何でも、3級自動車整備士の資格を取得しなければならない。そのため、この秋行われる3級自動車整備士試験に備えて、4月14日から大阪市内にある専門学校まで仕事を終えた後、半年の期間通学することになった。

 甥っ子は、小学校5年のとき転向させた。このことで、勉強が出来なくなった。すべてが私の甥っ子に対する配慮のなさゆえに生じたことだ。このようなことが背景にあったので、勉強に関しては、ほんとに基礎から取り組む必要があった。

 そこで、この日に備えて、昨年の秋から私と二人三脚で勉強に取り組んできた。満足を得るにはまだまだ程遠いものがあるが、突貫工事的な勉強をすることはできた。

 勉強期間は短いが、それでも、甥っ子は、ほんとによく頑張ってくれた。まだまだやらなければならない勉強は山ほどある。とりあえず、整備士の勉強をする上で支障を来たさない範囲の勉強(電気関係を含めて)はなんとかできたかな。最後やらなければならないのが、物理の計算問題だ。具体的には、「運動量保存の法則」や「等速運動」等だ。


 月〜金曜日までは通常勤務。土曜日は、午前中が勤務。このような時間の合間を縫うように、土曜日の午後、ともに勉強を重ねてきた。日曜日は、甥っ子にとって、これまで縁も縁もなかったPCの勉強をしてきた。かなりの知識が身についた。したがって、もう私が教てあげることはほぼなくなった。これまで行ってきたPCの勉強は終わりにして、次は、文書の書き方について、ともに勉強することにしたい。

2014年03月19日(水)
12歳の甥っ子

  次男の甥っ子、生まれて間もないころ体調を崩し、市民病を訪れた。診察の結果「心臓に異常が見られる」、とのことで担当医師が救急車に同伴し、某医大病院へ緊急搬送された。一日だっただろうか、入院を余儀なくされたものの、検査をした結果、幸い「異常なし」、ということで家族ともども安堵した。このときは、とにかく無事退院することができた。ただし、問題は、この後からである。

  帰宅後、数日すると、耳の中とその周辺の皮膚が腐乱するなどの異変が起きだす。母親がすぐ耳鼻科に連れて行くと、結果は「中耳炎です」とのこと。ところが、帰宅後、時間とともに皮膚の異変は、耳の周辺から体の他のところにまで広がりだした。明らかに中耳炎とは異なる。

  翌日、市民病院を訪れた。結果は、心配することでもなかった。しかし、皮膚の異変は、徐々に体全体に広がってきた。そこで、翌日、世話になった医大を再び連れた。すると、なんと、ブドウ球菌に侵されていたのだ。原因は、どうやら初めに医大に入院したとき、運悪く院内感染をしたという。


  またもや即入院になった。ところが、この病気、健康な体に戻る確立は30lで、生還できても障害を伴うことになることが、医師から告げられた。

  まだ幼い甥っ子は、ベットに横たわる。体を見ると、実に痛々しい。体全体の皮膚がただれているのだ。近くにいるだけでも、腐乱した皮膚から異臭が漂うほどだ。このような状態なので、さすがの妹も障害の残ることを覚悟したという。ところがどうだろう。なんと、甥っ子は、ブドウ球菌という、悪魔に打ち勝ち、生還した。奇跡が起きたわけである。同じ小児病棟には、甥っ子と同じ病気にかかり、障害に苦しめられていた幼児を目にした。

  無事退院後、定期的に保健所にも行ったわけだが、そこで耳にしたのが「難病に打ち勝った子供は、丈夫になりますよ」との嬉しいことばであった。

  その後、甥っ子は風邪も引くなど、いまだ病院のお世話になることも多い。ただ、成長は人並み以上で、すくすくと育っている。

  ま、このように甥っ子に関しては、幼いころの思い出が強烈に残っているので、甥っ子に対する思い入れもひとしお。欲を言えばきりがない。無事小学校を卒業できたことがほんとに嘘のようだ。ただただ、感無量である。

  その甥っ子も3月18日(火)、小学校を卒業することができた。これから先、とにかく健康な体を維持してほしい。これがすべてである。

2014年01月08日(水)
親戚の死を通じて

  正月気分もまだ覚め遣らぬ宿直明けの1月6日、親戚から電話がかかった。「父が亡くなりました」という知らせだ。年齢は73歳とはいうものの、いたって健康と思っていただけに、突然の訃報に、さすがに驚いた。奥様の話から本人は80歳まで生きる、と常々奥様に言っていたというから、本人もさぞかし無念でならないことだろう。

  死亡原因を尋ねると、入浴中、突然死したという。冬場、高齢者でよく起こる心筋梗塞だ。いつもと様子が違うことを直感した奥さまが風呂場を覗いたものの、時すでに遅かったという。

  生前はお互い意見の食い違いもあったというが、突然いなくなると「寂しい」と涙しながら、その心中を私に漏らした。 

  通夜・葬儀とお勤めをさせていただき、自身も年齢を重ねていることもあり、これまでになく生きることについて深く考えさせられた。

  この世に生を受けた者は、残念ながらいずれお迎えが来る。それがいつなのかは、個人差があるに過ぎない。いずれにしても120歳まで生きることはできない。

  生きていると、楽しいこと辛いことを比較すると、辛いことの方が多いかもしれない。でも、悲喜交々なことがあるから、人間は成長するはずだ。楽しいことばかりののんべんだらりとした人生では、人間の成長は望めない。それだけに、苦しいことにぶつかった時こそ、その苦難に立ち向かう気概が求められる。

  私はこの世に、単に生かされているに過ぎないと思っている。これまで比較的健康を維持しながら65歳まで生きられたことに感謝している。それでも、明日、いや、1時間先が健康であること、生きていることの保証はない。だから、自らが死の選択を追い求めることはない。ほっておいても、本人の意思に関係なくお迎えの日が必ず来るのだから。

  私は過去のブログでも書き込んだことがあるが、生きていることはほんとに素晴らしいと思っている。このようにPCやタブレット、スマホ、と様々なものを扱うことができる。そのような社会で生かされていることに心から感謝をしているし、幸運だとも思っている。

  親戚の死を通じて、改めて生きていることに感謝をしている。一時間、一時間を穏やかな気持ちを持ちながら過ごしたいものだ。

2014年01月06日(月)
時々思う
  時々思うことがある。都会で生を受けていたなら・・・と。また、せめてあと10年ほどのちに生まれていれば・・・と。このように現実離れしたことを時々思う。

  私は小柄なのに手が大きい。およそボクサーを目指す方の手がこのような感じだと想像することがある。だから、自分から他人に握手を求めるなど論外だ。そもそもデカイ手になった原因は、田舎での農作業だと思っている。だから、私の手を見る人が見れば分かる。苦労した証なのだから。でも、決して田舎のことを恨んでいるわけでもなければ、だれかを恨んでいるわけでもない。恨み節を言っても始まらない。世の中には、恵まれない境遇に身を置きながらも成功された方が沢山おられるからだ。

  昨年(平成25年)、都内在住の60歳代の男性が、突然メディアの前で、自分が都内の病院で出生した後、間違えられて他人の親に引き渡されていたことを明らかにされていた。これを耳にした国内の多くの大人が驚いたはずだ。この男性の本来の両親は裕福な家庭であったという。ところが、取り違えられ引き取られた先の父が死亡したこともあり、かなり貧しい生活を強いられたことが語られていた。そのため、大学はおろか、高校入学さえもできなかっという。それでも彼は、定時制高校だけは、何とか卒業したという。

  私の手元に「オオカミに育てられた少年」という本がある。題名のとおり、人間の子どもがオオカミに育てられるわけだ。オオカミは夜行性なので、夜になると行動し、オオカミのように月に向かって遠吠えまでしたという。歩くのも、手と足を使っての四足走行をしていたという。食事も手を使わず、口だけで食べていたことが記録されている。人間であっても、育つ環境が異なると、人間としての知能を使うことができない。育つ環境がいかに大切であるかが理解できるはずだ。

  何を言いたいのかと言えば、せめて私にも冒頭でつぶやいたような条件が欲しかったということだ。私は基本的に勉強が、大好きだ。だから、一日中何かを見つめ、考えることを続けても一向に苦にならない。若い時は大学を目指して一所懸命勉強をした。でも、将来のことを思い、公務員を選択した。ところが、このことで今でも後悔をしている。ほんとに正しい選択だったのかと。65歳を迎えた今でも悔やんでいる。

  都会はいいよな、書店に向かえば、必要とする本が本棚にある。だから、ちょっとしたことであれば、独学でも勉強ができる。ま、人生、山あり、谷あり、である。だからやる気が芽生えるのかもしれない


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