日々つれづれ、我が思いをつづる(5)

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2016年(平成28年)10月15日(土)
おふくろが旅立つ
 おふくろが12月11日で88歳の誕生日を間近にして、2016年(平成28年)10月12日(水)広い空へ向かって、87歳で旅立った。時間は、正午12時33分だった。

 ここ数年、入院生活をさせたことに悔いが強く残る。ただ、唯一の心の救いは、おふくろの最期を看取ることができたこと。おふくろとは長い共同生活だったので、そのぶん親父以上に思い出が強い。

 息を引き取る、1カ月ほど前になると、恐らく自分の死を感じ取っていたと思われる、言動を繰り返した。例えば、
「死んだらさみしくなるけど、どうする」
「もう死ぬよ」
「あと頼んでおくよ、あと頼んでおくよ」。この言葉を、いくども繰り返した。
 
 また、妹がおふくろの目の前でわざと、次男(息子)の頬を手でたたく仕草をすると、
おふくろが「そんなことしたらあかん」と止めたりもした。

 また一方、次男が母(妹)の頬を手でたたく仕草をさせると、
 「そんなことしたらあかんよ、おかあさん、と言わないといけないよ」、と穏やかな声で、次男に言い聞かせたりもした。これらの言葉が、私の心にくさびを打つように心に残った。おふくろの心優しい一面を見たからである。
 
 病院に行くたびに、スマホで動画撮影をしておいたので、今となってはこれが良い思い出となってくれた。次男の甥っ子に動画を編集をするように頼んでいる。

 死を迎える数週間前だったが、急に「焼きソバとお好み焼きが食べたい」と言い出した。
そこで私が「これから買いに行くわ」と言って病室の廊下へ出たあと、すぐ室に戻ると、お茶目な笑いをしながら「何してる、はやく行かんと」、と言った後、「用意ドン」と言って(お茶目な笑いを込めながら)、両手で叩きながら、私を急がせる仕草を見せたりもした。

 秋川雅史さんが「千の風になって」を歌っている。この詩を読むと、すごく心が痛む。おふくろは今、まさに千の風になって大きな空を吹きわたっているようだ。

 千の風になっての歌詞の一節を拝借すると、
「秋には光になって 畑にふりそそぐ」
「冬はダイヤのように きらめく雪になる」
「朝は鳥になって あなたを目覚めさせる」
「夜は星になって あなたを見守る」

 おふくろもきっと、この詩のように、私と弟妹、その子孫を広い空から見守ってくれているに違いない。

 おふくろ、素晴らしい思い出をありがとう。
2016年10月10日(月)
おふくろ
 おふくろが入院をしている。ところが、平成27年12月11日の誕生日を迎えると同時に、食事を受け付けなくなった。生命維持のため、この日から血管注射を通じての点滴(千i余り)をすることになった。

 食べなくなった原因は、食事が喉に詰まらせることを避けるため、流動食に切り替えたためである。おふくろは、おもがゆ、のような柔らかい食べ物は、大嫌いだった。だからどちらかと言えば、お米も硬い方だった。だから親父が生前、「硬い」と、ぼやいていた。

 おふくろが、いくら面粥が嫌いであっても、硬いものを食べさせるのは、「喉に詰める」という危険が伴うので、病院としては、面粥にする必要がある。また、家族としても、「喉に詰めてもよいから、硬い食事にしてください」とも言えない。

 ところが、6月末まで続けてきた血管注射が、血管を通じての点滴が出来なくなってしまった。そのため、最後の手段として、7月に入ってから皮下点滴に切り換えた。しかし、皮下点滴は、血管を通してと違って、栄養価が極端に少なくなる(約百i少々)。つまり、これは、患者の寿命が短くなることを意味する。

 皮下点滴になる過程で医師から、7月ないし8月までが寿命になる、との説明を受けていた。

 それでもなんとか7、8、9月と元気でいてくれた。数回、心配をした時もあったが、それでもなんとか元気な掛け声を出してくれていたので、ある意味、嬉しかったし、安心もしていた。

 最も驚いたのが、9月26日(月)だったが、妹がプリンを口へ入れたところ、ほんの少しではあったが、「美味しい」といって食べてくれたのには、驚かされた。同時に、もしや元気になるのでわ? との淡い期待を抱きもした。

 事実、10月2日(日)だったが、家族が揃ったなかで、ものすごく元気な表情と言葉を投げかけてくれた。

 ところが、10月4日(火)になると、容体も一変する。これまで比較的元気であったおふくろが、5日には38度の熱を出すが、翌日になると何とか、37度まで下がってくれた。しかし、この日を境としてすっかり生気をなくしてしまった。

 医師の説明を振り返ると、確かに予想以上に元気でいてくれた。奇跡に近かったともいえる。

 それでもまだ、なんとか握手を求めると、手を差し出してくれるし、聞き取りにくいが言葉も発してくれている。でも、いかんせん皮下注射を通じての栄養補給は大人としては、かなり足りない。だから、当然、健康な体を維持することはできないので、体力の低下は避けられない。

 以上のことから、おふくろの寿命のついて、心の中で覚悟はしてはいるものの、それでも、かなり辛いものがある。

 とにかく今できることは、一日二回、おふくろのもとへ出向き、話しかけてあげることである。もどかしいが、これしかできない。

2016年2月27日(土)
ブログの不具合がやっと解結した

 ブログのパスワード変更登録後、どうしても管理画面を開くことが出来なくなっていたわけですが、あの手この手を駆使しながらも今日やっと解決しました。不具合についてはブログの中で書き込むつもりですが、それなりに苦労しました。

 とりあえずこの後、ブログの書き込みをすることにします。

2016年2月24日(水)
ブログが不具合
お詫び

 ブログの管理画面を開けると「・・・・パスワードの変更推奨・・・」を趣旨とする文面が表示されました。確かにいつまでも同じパスワードを使うことは好ましくない、との思いからすぐパスワードの変更手続きをしたのです(ホームページ開設に必要なパスワードも時々変更していますが)。

 この選択がすべての誤りでした。いくら手続きを踏んでも、現行のブログの管理画面を開くことが出来ないのです。行きつくところは、「サービスの追加」画面を踏しか方法がありません。ところが、これだと、新規ブログサービス画面になるため、本来の私のブログを使うことが出来ないのです。

 様々な手立てを打ってはいるものの、いまだ解決に至っていません。最悪のことも考えてはいるものの、長年続けてきたブログをそう簡単に諦めることもできないので、根気よく手続きを繰り返してみるつもりです。

 これまでご訪問している他のブログ管理者(ブロガー)の皆様には、誠に申し訳ありませんが問題が解決するまで、ブログをご訪問できませんので、どうかご了承のほどよろしくお願いいたします。
2016年02月1日(月)
本性を見る思い
 昨年の安保法案で一躍有名になったシールズ(SEALDs)。あの時、安保法案反対を訴える彼たちの声に多くの方が純粋に耳を傾け、共感を覚えたはずだ。

 ところが、同年行なわれた大阪市長選挙において、無所属とはいうものの自民党員であったはずの候補者の応援を彼達はやってのけた。実に不可解な行動がネットで配信されていた。

 彼達は、戦争法案”(安保法案 )は絶対に許さない、と叫んでいた。つまり、自民党の横暴さが看過できなかったはずなのに、大阪市長選では、なぜか自民党側候補者の応援をした。驚き、と言う以外の言葉をみいだせない。

 もう一点驚いたのが、彼達の手に持つプラカードの裏には、「戦争法案反対」と書かれていたという。

 なんでもありの実に不可解なシールズの行動に、個人的には違和感を覚えるとともに、彼たちの隠されている本性を垣間見る思いをしている。

 更に彼達は、沖縄県まで出向き普天間基地の辺野古移設反対を訴えだした。彼達の行動する資金は、いったい、どこから捻出されているのだろうか。

 ここで注目すべきことは、彼達と同じように必ずある政党も行動を共にしていること。どうしても偶然とは思えない。

 




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