日々つれづれ、我が思いをつづる(6)

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2017年(平成29年)12月22日(金)職場から>
覚せい剤と心神喪失
 三面記事を見ると、必ず、と言ってよいほど憎むべき殺人事件が報じられている。発生する事件も様々で、喧嘩殺人・痴情殺人・強盗殺人、さらには覚せい剤に絡む殺人等によって尊い命が失われている。

 以上の事件で私が最も許すことのできないのが、覚せい剤に伴う殺人事件である。

 覚せい剤に絡む事件で今もなおかつ忘れることのできないのが、1981年(昭和56年)、東京都江東区で発生した通り魔殺人事件である。この事件は、白昼、事件現場近くに住む主婦がベビーカーに幼児を乗せ、傍には幼い長女を連れて家路についていたところ、前方からきた男に、突然包丁で襲われたのである。その結果、親子三人はメッタ刺しに合い死亡した。さらにこの時、すぐ傍を歩いていたもう一人の主婦も凶刃(きょうじん)の犠牲となり、さらに主婦二人を傷つけた。

 当時の報道では、この男はかなり以前から覚せい剤を常用していたらしくて、逮捕後の血液や尿検査で覚せい剤が検出されていた。

 あと私が説明をするまでもなく、事件当日犯人は「心神喪失者」として、精神病院へ強制入院をさせられて、一件落着となっている。

 だが、犯人が「心神喪失者」であった、と処理されたこと事態、私には違和感を感じた。事件を起こした時、犯人は、確かに「心神喪失者」であったはずだ。でなければ、まったく面識もない被害者たちを包丁で殺傷するなど出来るはずがない。それは、逮捕後の犯人の供述からも明らかである。その供述とは次の内容だった。

 「死んだ人間はこれも運命だ。刺した気分はなかなかよかった。スーッとした」「おれはサムライだ。平民はサムライに刺されて幸せに思え」

 以上の暴言は、どう考えても正常な人間の発言ではない。だから「心神喪失者」として処理されることになったのだろう。

 しかし、覚せい剤を常用することの危険性について、政府や地方自治体がマスメディアや広報などの手段を通じて国民に訴えている。だから、覚せい剤がいかに危険であるかについて、成人した者であれば、ほぼ誰もが周知のはずだ。

 したがって、この犯人も覚せい剤を常用する以前は、それがいかに危険なものであるかについて、理解できていたはずだ。にもかかわらず覚せい剤を常用することは、健全な生活を営む人々に対する挑戦といわざるを得ない。それをどうして「心神喪失者」という名の下で犯罪を犯した者を保護するのか。それが私には納得が出来ない。これでは犯人の人権のみが尊重されているとしか思えない。

 いずれにしても、強制入院を強いられた犯人は、治療に専念させられたものと思うが、その後のことは把握できていない。

 問題は、同様の犯罪について、犯人がいつ社会復帰できるかについての権限が鑑定医に託されていることだ。だから、退院が数十年先になるかもわからないし、短期間のうちに退院が可能になるかもしれない。

 いずれにしても、覚せい剤を断てば治癒したと見なされることは確かである。問題は、退院後、二度と同様の事件を起こさない、との保証がないことである。なぜなら、新宿駅西口の発車待ちバスの中へガソリンをまき散らしたうえ、放火して乗客多数を死傷させた事件の犯人は、精神病院を退院して間もなく犯行に及んでいる。過去の事件が、それを立証しているからだ。

 こうした事件の度に私たちは、被害者のことを、災難であった、運がなかった、等のことばで片付ける傾向がある。しかし、誰もが被害者になりかねない危険性を含んでいることを肝に銘じておく必要がある。

 そこで、このような悲惨な事件の再発を防ぐためには、国民一人ひとりがその恐ろしさを十分認識したうえで、いたずらな好奇心や誘惑で、覚せい剤に簡単に手を出さないようにしなければならない。さらには、覚せい剤と心神喪失を結び付けてほしくない。





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