故郷の写真


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写真は2012年(平成24年)に写したものです。 

 次の二枚の写真は、多くの方に我が故郷を理解していただく手段として、故郷の埠頭(ふとう)傍に設置してあるの案内板の写真を拝借したものです。







 「荒木初子の生家」とありますが、説明すると長くなるので、止めておきます。この方を題材とした映画収録が島内で行われ(主演・樫山文江)、全国で公開されました。







次の船は、宿毛市片島港〜故郷・沖ノ島を結ぶ定期便です。島民の暮らしの大切な交通手段です。朝夕、一日二便の運航は、昔も今も同じです。ただ、昭和30年代は、小さな木造船でした。当時は、少々の荒波でも運航していたものです。荒波のときは、船が上下左右に揺れたものです。すると、客室で寝ている私の体が、客室を転がったものです。 今は、運行管理が厳格になっているようで、既定の気象条件に基づいて運航しているそうです。









早朝の片島港。出港する船内から撮る。










荒波漂う海域です。 




















2014年(26年)10月18日(土)、生家解体を委託した方へのご挨拶のため帰省した時に撮ったものです。










2014年(26年)10月18日(土)、生家解体を委託した方へのご挨拶のため帰省した時に撮ったものです。










2014年(26年)10月18日(土)、生家解体を委託した方へのご挨拶のため帰省した時に撮ったものです。










2014年(26年)10月18日(土)、生家解体を委託した方へのご挨拶のため帰省した時に撮ったものです。










2014年(26年)10月18日(土)、生家解体を委託した方へのご挨拶のため帰省した時に撮ったものです。










2014年(26年)10月18日(土)、生家解体を委託した方へのご挨拶のため帰省した時に撮ったもので、海食洞(七つ洞)です。










2014年(26年)10月18日(土)、生家解体を委託した方へのご挨拶のため帰省した時に撮ったものです。










2014年(26年)10月18日(土)、生家解体を委託した方へのご挨拶のため帰省した時に撮ったものです。










2014年(26年)10月18日(土)、生家解体を委託した方へのご挨拶のため帰省した時に撮ったものです。










2014年(26年)10月18日(土)、生家解体を委託した方へのご挨拶のため帰省した時に撮ったものです。










2014年(26年)10月18日(土)、生家解体を委託した方へのご挨拶のため帰省した時に撮ったものです。










2014年(26年)10月18日(土)、生家解体を委託した方へのご挨拶のため帰省した時に撮ったもので、海食洞(七つ洞)です。










2014年(26年)10月18日(土)、生家解体を委託した方へのご挨拶のため帰省した時に撮ったものです。










2014年(26年)10月18日(土)、生家解体を委託した方へのご挨拶のため帰省した時に撮ったものです。










海食洞です。七つ洞と呼ばれています。











































 廃校になっていますが、中央の建物は、小中学校舎です。当時は木造校舎でしたが人口減少に伴い、中学校の跡地に小中学校ができたようですが、今は廃校になってしまいました。随分あった耕作地・段々畑が樹木に覆われています。











































 定期船が島の港に入港です。眩しいばかりの朝日が、港を照らす瞬間です。当然、夕日は海側になりますので、ダルマ夕日を見ることが出来ます。 













































































夏休みになると、この湾内でよく泳いだものです。












































 私のころは、木造校舎の中学校でした。今は廃校になっています。






















 昔からある隣村を結ぶ道路です。昔は未舗装でした。










 上記写真の海食洞(七つ洞)を真上から撮ってみました。最も危ないところです。この日は、海面がやや荒れているようでした。
































 前方、頂のやや右側に二本の柱のようなものが、かすかに見えています。灯台です。










 キャンプ場のようですがお手洗が閉鎖状態なので、どうみても使える状態ではありません。























































これは食べることができますよ。
































「日棚」です。細い針金を使って、竹を編んでできています。











  ご覧のように、上下から風が通り抜けるようになっていることが分かります。昔は、収穫した芋や麦、落花生等、様々な農作物を自然乾燥させる時に使われていました。
 それだけではありません。夏になると食事の場へと役割が変わります。また、夏の夜は、夕涼みをすくための大切な避暑の場でもあったのです。先人の知恵は素晴らしいですね。





















写真の木の下に見える高台に、木造校舎の小学校がありました。












































 写真中央あたりの水平線ですが、島で暮らしていると、「だるま夕日」を当たり前のように見て育ちました。水平線のはるか向こうが、九州(大分県〜宮崎県)になります。










 私の暮らしていた頃は生息していませんでした。いったい何時から住み着いたのでしょうか。海面を心地よさそうにスイスイ泳いでいます。




































































































 以下、7枚のやや色あせたカラー写真ですが昭和50年、前半と思われます。帰省した時、島内を一人で歩いた時に写したものです。










 中央の島に松の木が見えています。今は松が1本も残っていません。この時は、まだ松の木が健在であったことが分かります。
































ちょっと変わった木だったので、写してみました。隣も村で。


















隣村を結ぶ山道です。昔のように人が利用しなくなったので「けもの道」のようになっています。木のトンネルですね。今は勿論、通ることができません。









ここからは、昭和40年代のモノクロ写真です。耕作地の面積の違いが一目瞭然です。










灯台からの眺め。でも今は、道が荒れ果てて、ここへ行くこともできません。





















小学校の遠足といえば当然、島内の移動でした。数少ない遠足の地でしたが、ここもそのひとつです。











島内でも貴重な景勝地ですが、ここも今は、行くことができません。
























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