<旅行記>


九州(日向灘側、走行日数12日)

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旅行記

2010年09月21日(火)  <走行距離:70.65q>  <天気:早朝一時雨、のち晴れ>  
<九州・日向灘側、周回1日目>
山口県安岡市(インターネット・スペースプリエイト)〜福岡県豊前市道の駅豊前おこしかけ) <走行71日目>
 この日は、いよいよ九州上陸です。ここまでの道のりは、本当に長くて険しいものでした。「やっと九州へたどり着くことができた」、そのような喜びの心境でした。

 昨夜のネットカフェを5時10分に出発。ところが出発すると、そのあとすぐ大雨になりました。コンビニがありましたので軒下に避難しました。この季節の早朝に降る雨は、真夏の雨と異なり濡れると寒いし、かと言って合羽を着ると暑い等、とにかく中途半端なのです。でも暫くすると幸い雨も上がってくれました。

 下関駅前を通り、過去訪れたことのある「唐戸市場」の前を通り過ぎると、バス停である関門橋の真下に着くことが出来ました。ここからバスで九州へ渡ることになります。

 本当は人道関門トンネルを通って九州へ渡るつもりでした。ところが、運の悪いことにこの夏、人道関門トンネルの補修工事が行われていたので、やむを得ず代替え輸送となる高速バスで関門橋を渡ることになりました。自転車と荷物は、トラックに積み込んでの搬送。人はバスです。勿論、無料です。

 朝一番、雨が降ったものの、そのあと、この日も暑い一日になりました。福岡県豊前市へ向かっていると温泉を見つけたので、そこで夕風呂ならぬ、朝風呂を済ませました。お風呂に入るのはいいのですが、そのあと、体の動きが鈍くなるのが辛いものです。事実、何だかやる気のない脱力感に襲われたものです。

 北九州市ともなれば交通量も半端ではありません。九州へ入る当初から北九州市の市街地を通り抜けるのが、ひとつの鬼門と考えていましたが、なんとか無事に通過することが出来ました。

 この日、目指す場所は、福岡県豊前市内にある「道の駅豊前おこしかけ」です(写真)。暑い一日でした。

 目的の道の駅に着くと大きな屋根の付いた広場があります。長椅子もありましたのでそこで寝ることが出来ました。屋根があることだけでも気分的に違います。屋根があると、あとは椅子さえあれば雨が降っても濡れる心配がありません。それにテントの設営も必要ありません。その分、手間も省けますから。

 ところで、ここの道の駅では、二人の年配の男性が定住されているように見受けました。朝になると、いそいそとお手伝いをされていました。一方、夕方になると関東の青年がバイクでやって来ました。バイクのエンストやマフラーの破損について話が弾みました。バイクでもやはり夏場ともなれば、色々とトラブルの起きることを悟ったものです。


2010年09月22日(水)  <走行距離:62.53q> <天気:晴れ、午後1時過ぎからゲリラ雷雨>  
<九州・日向灘側、周回2日目>
福岡県豊前市(道の駅豊前おこしかけ)〜大分県国東市道の駅くにみ) <走行72日目>
 朝の天気予報では、この日は確実に雨になることが予想できました。本当は昨夜の場所に留まりたかったのですが、少しでも一歩先へ進むことを優先しました。

 この日は、国東半島の先端へ回り込み、国東市にある「道の駅くにさき」を目指すものでした。ところが国見町にある「道の駅くにみ」(写真)で休憩をするために立ち寄ると、ヒッチハイクで九州一周の旅をされている関東の青年との出会いがありました。その青年の情報では、予定としていた道の駅の軒先が小さいので雨が降るとキツイことが明かになりました。このときの時間はまだ10時50分でした。しかし「雨が予想される天気のことを考えると、ここの道の駅で留まることが賢明」である、と判断。走行を中止するには、かなり時間が早いわけですが、結局、この道の駅に留まることを決意しました。

 このあと青年とお別れをすると、彼は国道に立ち、呼び込みの文言をマジックで書いた段ボールの切れ端を両手で上空に掲げると、車の止まってくれるのを待っていました。すると、以外にも短時間で走行中の車に乗せてもらい、彼は、私の来た方向へとは逆に向かって旅立ったのです。

 彼曰く、「私は自転車で旅は出来ません。歩いての旅、と言ってもほとんど車に乗っていますから」と感想を述べました。いや、確かに彼の言うとおりで、いとも簡単に車に乗せてもらっていました。驚きです。他でも青年が同じことをされていましたが、テレビを通じて見る外国の光景が、夏の国内においても実際に繰り広げられていることを知りました。今の若者の行動力には驚きです。すごい!!

 このあと、正午1時を少し過ぎると、予想どおり、とんでもない大雨になりました。この雨は深夜になると更に激しさを増して、雷鳴が轟くほどの大暴れになったのです。

 それでも夕方になると、雨も一旦上がってくれました。すると、「兵庫県西宮市で働いていましたが定年となった今は、郷里の地元に戻って気楽に暮らしています」と言う男性がやって来ました。彼と随分話が弾みました。田舎の方が住み心地がいいはず、と思いましたが、どうやら必ずしもそうでもないようです。田舎は田舎なりの、大変なお付き合いがあるのですね。

 19時を過ぎると彼は魚釣りに行きましたが、そのあと、また私のもとを訪れてきました。話しの好きな方でした。


2010年09月23日(木)  <走行距離:82.86q> <天気:曇り、のち晴れ>  
<九州・日向灘側、周回3日目>
大分県国東市(道の駅くにみ)〜大分市街豊の国健康ランド) <走行73日目>
 昨夜、と言うのか、深夜1時〜4時にかけて、とにかくよく雨が降りました。ゲリラ雷雨で、その音も中途半端ではありません。まるで天空が怒っているかのように地響きを感じるほどの雷でした。そのため、この日の朝は、予定を1時間遅らせて出発することになりました。

 この日のコースは、大分空港まで来ると、あとは平坦な道が続きます。途中、大分空港入口にある「里の駅」に立ち寄り、旅の疲れを取るためここでコーヒーを飲み、少しばかり癒しの時間に浸りました。

 長旅の疲れをとるためにも、別府にある24時間営業の健康ランドを目指して走りました。ところが運の悪いことに、辿りついてみると、なんと改修工事が行われているところでした。そこで20qほど先の大分市街にもう一軒、健康ランドが地図上で確認できていたので、そちらへ向かいました(写真)。

 別府から大分市街までの国道は平坦で道も整備されていたので、予想以上にスムーズな時間でたどり着くことができました。その名は「豊の国健康ランド」です。ホテル兼用になっています。ただ休憩室がお粗末でした。深夜になっても小さな明かりに切り替えることもしません。それに休憩室の傍にゲーム機が置いてありましたので、気配りのないお客さんが深夜になってもゲームに夢中になって遊ぶではありませんか。遊戯機から出る独特の音が高くて、それが耳触りで寝れません。ホテル兼用にしてはリクライニングもお粗末でした。寝るためには、静寂な中にも仄暗さがいちばんいいはずです。

 温泉どころなので期待していたのに、裏切られた気持ちになりました。とは申しましても、それでも外よりは、はるかにましかもしれません。


2010年09月24日(金)  <走行距離:93.79q>  <天気:晴れ>  
<九州・日向灘側、周回4日目>
大分市街(豊の国健康ランド)〜大分県佐伯市内道の駅やよい) <走行74日目>
 写真は佐伯市内の場末にある「道の駅やよい」です。この日の寝床となる場所です。

 この日は、大分市内の健康ランド&ホテルを5時45分に出発しました。佐賀関半島をグル〜と回りこみ、臼杵市と津久見市を通り、佐伯市へ出た後、少々内陸部へと入り込みました。少々コースが外れますが、寝るための手段ですから止むをえません。

 このコースは、やや起伏があったものの、とにかく目的の場所まで走り抜きました。走行中、臼杵・津久見・佐伯湾にある複雑なリアス式海岸のような港町を走ることが出来ました。どこでも言えることですが、若者の姿が見られないので、町が閑散としていることを実感しながら走行したものです。

 走行途中、コンビニに立ち寄ったところで、地元の若い雑誌記者との出会もありました。今日の私の移動場所について尋ねられました。もしかすると連絡をさせてほしいので・・・とのことで、名刺を頂くと共に、私の携帯電話番号を伝えた後、お別れをしました。勿論、そのままで終わりましたけれども。

 道の駅に着くと、まずは寝床の確認です。軒下が広くて寝るための台座(商品陳列台)までありましたので、いつもと同じ要領で寝ることができました。それに温泉もありましたので、そこでゆっくり入浴。おまけに道の駅の向かいはコインランドリーまでありました。三点セットですから、至れり尽くせりの場所です。

 道の駅には温泉施設のあるところが結構あるものです。便利でいいですね。このようなところでは、車で旅をされている方々の夜の仮眠場所にもなります。

 ここには名水もありましたので、よく水を汲みに来ていました。


2010年09月25日(土)  <走行距離:123.73q>  <天気:晴れ>  
<九州・日向灘側、周回5日目>
大分県佐伯市内(道の駅やよい)〜宮崎県日向市道の駅日向) <走行75日目>
 写真は日向市内にある「道の駅日向」です。

 道の駅へのルートを地図上で確認すると、かなりの上り坂のあることが予想されます。なのでこの日は、
4時10分には起床。そのあと、4時50分には出発しました。

 私が起きて少しすると、商品を納入されてきた方が、「早いですね、もう起きたんですか」と、驚いていまし
た。商売されている方々も朝が早いですよ。このような時間、夏はいいけれども冬は大変だ。

 走行してみると、予想どおり三箇所の峠越えがありましたので、疲れました。この日のルートも難所でした。佐伯市からは峠越えやアップダウンの繰り返しでした。この年になるとアップダウンは疲れます。ただ、山あり、港ありの風光明媚な田舎町を見ながら通り抜けたものです。

 走行途中、マックが目にとまりましたので疲れを癒すため、また、自分へのご褒美として店に入り込みました。ま、自身に対する甘い逃げ口上に他なりませんが。

 目的の「道の駅日向」に着いたのが17時前でした(写真)。軒先が短かったものの、台座があったので寝ることが出来ました。それに雨が降らなかったので助かりました。旅もここまで続けると、寝る手段は、もうプロ級ですね。どのような場所でも、体勢でも寝ますから。人間もここまで鍛えると大したものだ!!


2010年09月26日(日)  <走行距離:61.88q> <天気:晴れ、夜から雨>  
<九州・日向灘側、周回6日目>
宮崎県日向市(道の駅日向)〜宮崎市街(宮崎駅舎) <走行76日目>
 昨夜の場所を5時50分に出発。この日の朝は、少々ヒンヤリとしていましたが、まだ半袖一枚で走れるほどの爽やかな天候でした。

 ここへ来るまでの情報では、「宮崎県は平坦・・・」と言うものでした。情報と現実は異なり、岬のところへ行きつくと少々アップダウンの繰り返しで、平坦な道路と言うには程遠い気がしたものです。情報とは違うわ?宮崎の道路事情は、以外にも平坦とは言い難いものでした。

 ところで、「二度あることは三度ある」と言いますが、これまで荷台の支柱が二度も破損していますが、そのことが気がかりで、この日も宮崎市街まであと10Kmのところで休憩のあと、問題のところを確認してみると、なんと、またもや支柱に亀裂が入っているではありませんか。このときの私は、も〜、なんともいえない落胆ぶりでした。がっかりもいいところです。

 その場ですぐ、住いのイオン店を通じて取り替え依頼の手続きをすると同時に、自宅に置いてある予備の荷台を宮崎へ宅配するための手続きを取りました。キャリアの破損がこれで3回目になります。しかも、今回は、場所が宮崎ですから、キャリアが届くには若干時間を要します。それでも、たとえば専門店を通じて部品を取り寄せると、一週間はかかるので、問題となっている部品を自宅から宅配させると早くなるわけです。

 宮崎駅前に着いたのが9時45分でした。兎に角なんとか宮崎駅までたどり着くことができました(写真)。結局、キャリア交換の出来るのは2日後になることが明かになりました。もう開き直る以外に取るべき手段がありません。まさに、「まな板の上の鯉」の状態でした。

 到着時間が早かったので、宮崎市街をウロウロ。ついでに宮崎県庁まで足を運び、正面入り口で記念撮影。このときはまだ東国原知事が現役であっとこともあり、幾人かの観光客が県庁を訪れていました。
東国原知事の人気は絶大ですね。

 夜は、駅前にある長椅子で寝ました。でもね、深夜に警察官が来て職務質問ですよ。駅前に交番がありましたので、利用する側は安全と思っていたのですが、警察官からすると、長椅子に寝転がる私の様子を目にすれば「なんだ、あれは?」と不審を抱くのは当然でしょう。

 職質が終わり、さあ寝ようか、と眠りかけていると次は、覆面パトカーが私の傍で止まります。またもや同じ職質が始まります。こちらは眠たいのに「もう勘弁してよ」と思ったものです。

 雨が容赦なく降り続く夜でした。


2010年09月27日(月)  走行距離:6.85q>  <天気:雨、一時曇り>  
<九州・日向灘側、周回7日目>
宮崎市街(宮崎駅舎) <走行77日目>
 宮崎駅舎構内の一角にパン屋さんがあります。昨夜、そこで買ったパンを食べたところ、キジがとても美味しかったので、この日の朝食は、開店と同時にパンとコーヒーを買いました。美味しかったですね。至福のひと時でした。

 昨夜は寝袋なしでベンチで寝ていたところ、深夜1時になるとさすがに寒くなってきたので寝袋を出して潜り込んでしまったものです。

 この日は、自宅から宅配した予備の荷台について、自宅や宅配業者等に確認を求めたところ、宮崎市街にあるイオン宮崎店に午前中に間違いなく届くことが明かになりました。10時を少し過ぎると雨もほぼ気にならない状態になったので、今のうちにとの思いからイオン店へ移動することにしました。

 最終的には、宅配業者を通じての確認で、商品は目的のイオン店に届いていることが分かりました。この時点でイオンの担当者から連絡が入っていなかったものの押しかけて行き、すぐ荷台の取り換えと同時にタイヤとチューブ交換を済ませることが出来ました。もっとも、お店の方は、押しかけられたのでやや不機嫌でしたが、この地でいつまでも気楽に過ごす余裕などありません。

 修理も終わるころには、幸い雨も上がっていました。駅舎に戻る途中、洗濯を済ませる等、明日からの出発に備えてこの日にしなければならない用件のすべてを済ませました。

 駅舎に着いたのが18時過ぎでした。昨夜と同じ方法で寝る訳ですから、同じテツを踏まないためにも、この日は先手を打つべく交番を訪れました。ここで事情説明をした後、身分を明らかにしたうえで低姿勢で昨夜のベンチに戻りました。これで今夜は熟睡が出来る、そんなふうに思ったのです?

 夜遅くまで駅舎で座り込み、深夜になってからベンチに戻りました。「さて、今夜は安心して寝られる」と思って寝袋に入ると、あれ〜?、昨夜と同じようにまたもや警察官がやってきたではありませんか。いったい、どうなってるの? あれだけお願したはずなのに・・・。 もしかして「自転車で日本一周をしている変わり者がいる?」と思ったのかどうかは分かりませんが、昨夜と同じようにパトカーと覆面パトカーが交互に来ました。尋ねる内容は、ま、私の安全確認をしてくれてのことでした。だから、さすがに職務質問はされませんでした。

 死んでなければ、そのまま見て見ぬふりをしてほしかったのですが・・・。寝むいよ〜

 ま、警察官が巡回で立ち寄ってくれることは、深夜の駅前ベンチで安心して寝られることでもありますが。


2010年09月28日(火)  <走行距離:117.18q>  <天気:雨、一時曇り>  
<九州・日向灘側、周回8日目>
宮崎市街(宮崎駅舎)〜鹿児島県曽於根郡山崎町道の駅くにの松原おおさき) <走行78日目>
 予想外の荷台破損で、宮崎駅前のベンチで二晩も泊ることを余儀なくされての出発でした。

 この日目指すのは、まず宮崎県にある都井岬です。ここから志布志市内にある「道の駅くにの松原おおさき」を目指す予定です。ところが、都井岬の途中にある「道の駅なんごう」手前になると、デジタル表示板に通行規制が掲示されてるのが目に付きました。なんと、これから通るはずの都井岬へ向かうための国道448号線が交通規制されているではありませんか。

 それでも前進して都井岬に入る途中にある道の駅まで行ってみたものの、道路の崩落により暫くの間、通行できないことを聞きました。全く目処が立たなくて、それも7月から今に至っても改善されていません。自転車も通れないほどの崩落が起きているのです。

 仕方がありません。来た道を引き返してコースを内陸側の国道へと進路変更です。そのためには、進んできた448号線を南郷駅(南郷町)まで戻ると、220号線(日南線)へ入り、ここから志布志湾(串間市駅)を目指す必要があります。内陸側を通っていた220号線も、やがて串間駅を過ぎると220号線は、沿岸部に沿います。さらに走り続けると志布志駅近くを通りすぎ、目的とする「道の駅くにの松原おおさき」へ着くことが出来ました。

 ま、このようにして色々なことを乗り越えながら、この日も志布市にある「道の駅くにの松原おおさき」に着くことが出来たのです。

 道の駅に着くと、先客の青年がいました。彼は北海道出身で、お遍路になり四国を巡礼しながら九州を徒歩で二周される程の旅の達人でした。家庭のことも含めて様々な思いを語ってくれました。

 話の中で彼は、野営について「寝る場所を選んでいるうちは、まだダメです。必要であれば、橋の下でも寝るほどにならなければ本物ではありません」と諭されたものです。「そうか、そこまでの修練が必要なんだ」彼が言うように私はまだ、本物でないことに気付かされたものです。でも、ちょっと橋の下はね〜?

 また彼はある日の冬、橋の下の僅かな空間で寝ていたところ、誤って川の中に転げ落ち、あまりの寒さに震え上がり辛抱できなくなったのでコンビニへ行き、段ボール箱をもらってその中で寒さをしのいだことの体験談をお聞きしました。この話を聞いた時、笑っては失礼とは思いつつも、それでもつい笑ってしまったものです。

 写真は休憩場所にあるテーブルですが、ふたつありましたので、双方で寝ることが出来ました。

 ところで、この道の駅で一台の自転車を目にしました。持主は東京出身の年配の男性で段ボール箱の切れ端に日本一周を7回されたことを書き込まれていて、それを他人の目に触れるように荷台に差し込んでいました。内容は「食事をしていないので危険・・・」等のことばが添え書きされていました。ついでに募金のお願いまで書かれているではありませんか。

 この方、今では九州に根をおろして、九州を中心として日々走り続けています。なので九州の道路事情について、もしかすると何方よりも熟知しているかもしれません。自転車で九州を周回していると、恐らくこのおじ様にめぐり合うはずです。見かけたら声をかけてください。とても親切で親しみ深い方です。

 ただ、なにを書かれるのも自由ですが、地元の方でしょうか「あれは、あなたの自転車ですか」と尋ねられました。募金についての書き込みをするなど、いくらなんでも私には出来ません。とんでもない人違いだ。

 ここの道の駅には車検切れの乗用車を駐車場に止めて、そこを居住としながら生活されている二家族のおられることを知りました。もう数年にも及ぶそうです。

 人によっては道の駅を居住の場にされる等、ここで様々な人生ドラマが繰り広げられていることを知りました。なお、夜は傍にある温泉で入浴を済ませることができました。


2010年09月29日(水) 走行距離:62.25q>  <天気:雨、一時曇り>  
<九州・日向灘側、周回9日目>
鹿児島県曽於郡大崎町(道の駅くにの松原おおさき)〜鹿児島県肝属郡南大隅町道の駅根占) <走行79日目>
 難所であることが予測される佐多岬を目指すため、岬に最も近いところにある「道の駅根占」へと移動しました。

 都井岬を目指していると、国道崩落現場を二箇所目にしました。崩落現場を見た私は、目指す道の駅まで本当に行き着くことができるのだろうか? とやや不安な気持ちに駆られたものです。

 目的の所に確実に着くためには、走るコースについてもやや軌道修正する必要があります。そこで大隅半島についても太平洋沿岸ルートでは同じことが起きている可能性があるので、大隅半島の中間地点から鹿児島湾側へ向けて横断するコースを選択したのです。

 結果としてこのコースを走ることが正解であったように思います。「道の駅根占」へ着く過程で、道路規制の標識を目にしました。また7月には、目指す道の駅のすぐ傍の山でも大きな土砂崩れに伴う土石流が発生したそうでした。このときの土石流により国道が土砂で埋もれたことから復旧作業の間、道の駅も暫く休館になったそうです。ですから佐多岬への幹線ルートなので、当然その時は佐多岬へ行くことも出来なかったそうです。私の時でなくて運が良かった。

 天気予報では、深夜から雨模様です。憂うつな気分でした。それに道の駅の軒先が短すぎて、夜中に大雨が降ると寝るのに困ることが予測できました。そこで、道の駅の中腹にバンガローがありましたので、そこなら雨になってもなんとか凌ぐことが出来る、と密かに考えていました。

 私の心配とは裏腹で、道の駅のスタッフの皆さんがとても親切な方ばかりで、食堂が既に閉店になっていたにも関わらずカレーを調理してくれました。また、道の駅の駅長さんも親切で、「雨が降ったらここでどうぞ」と正面玄関の軒下を指さして指定してくれるほどでした。

 また一方で、道の駅住み込みで働く30歳前半の男前のお兄さまがおられたわけですが、「ここで寝てください」と自分の住まいの一角である入口の部屋を提供してくれたのです(写真)。助かりましたし、その心遣いが有難かったですね。彼は福岡出身で、今はここでなに不自由なく暮らしているそうでした。ほとんど小遣いもいりません、と言ってました。それにしても彼は背が高くてスタイル抜群、なおかつ世に言うイケメンでした。まさに九州男児、なぜか独身でした。なぜなの? 他人事ではありますが考え込んでしまいました。

 写真ですが、彼が寝床として提供してくれた場所です。どうやらここは以前、道の駅の休憩所として使われていることが構造上から読み取れました。彼の部屋は、写真の突き当たりの奥にあります。寝る前に  「朝早く出ますので・・・」と彼に伝えておきました。

 寝どこも確保し、あとは寝るだけでした。すると、このお兄様が「お風呂に行きますので、一緒に行きましょうか。お風呂に入らないと疲れが取れませんから」と少し離れにある町内の温泉まで同乗させてくれたのです。おまけに入浴券まで差し出してくれました。勿論、そこまでして頂く訳には参りませんのでお返しをしました。その心遣いが嬉しかったですね。この御恩、一生忘れることはないでしょう。元気で、頑張っているのかな・・・。

 閉店後の夕方でしたが、名古屋出身の男性が乗用車で道の駅にやってきました。私と同年代でリタイアのあと、旅の手段は異なるものの車での単独旅行中でした。彼は、「この道の駅は、休憩所もないんやな・・・」と感想を洩らしました。明日、私と同様、佐多岬の観光を目指しているところでした。彼はこの夜、道の駅の駐車場に車を止めて、車で寝ていました。

 深夜になると雨が降ってきました。寝袋に入っている時から鉄板屋根に打ち付ける雨の音が聞こえてきます。その音を聞くだけでもなんだか「いやだな〜、もう一日留まろうかな・・・」とそんな憂鬱な気分でした。本当は一日延期したい、それがこのときの本音でした。でも立ち止まると、親切にして頂いたお兄さんにもう一晩ご迷惑をかけることになるので、甘えは許されません。心機一転の強行出発でした。


2010年09月30日(木)  <走行距離:136.5q> <天気:雨、のち曇りから晴れ>  
<九州・日向灘側、周回10日目>
鹿児島県肝属郡南大隅町(道の駅根占)〜鹿児島市桜島横山町道の駅桜島) <走行80日目>
     九州周回をする上で佐多岬に行くのが最も難解であると考えていました。昨夜の道の駅で四国お遍路参りをされている方との出会いがありましたが、「佐多岬に行く過程で店が一箇所しかないので、そこを見逃さないように・・・」等の注意点をお聞きしておきました。

 このことも含めてですが、3食分のパン類を買いだめしたうえでの出発でした。

 この日の朝は、5時45分に道の駅を出発しました。早朝から出発の荷支度をしたので恐らくお兄さんにもその音が聞こえていたのかも知れません。昨夜から降り出した雨は、出発時点になってもまだ降り続いています。雨合羽を着こんでの出発でしたが走行途中、サウナに入っているかのように、さすがに蒸し暑くなってきたので脱いでしまいました。外はまだ真っ暗です。そのうえ雨ですからコンデションとしては最悪の条件です。

 走行中、トンネルがありましたので、そこで立ち止まり、備え付けのパンで早い朝食です。雨宿りには最適の場所です。その上、明かりも灯っていますので食事をするには打ってつけの場所です。でも、たまに車が通り抜けていましたが、外も暗かったので車越しから見る私の姿を見ると、もしかすると薄気味が悪かったかもしれません。

 岬の先端に近づくにつれて起伏も激しくなります。やはり手ごわいルートでした。それでも進まなければなりません。

 岬の入り口にある旧料金所に着くと、そこから港町の方へと進路を変えました。ところが途中、この道にとんでもないほどの上り坂がありました。港町を通り抜けると、本線へ繋がる手前で道が狭くなり、とんでもないほどの上り坂になりました。とてもではありませんが乗ることができません。と言うのか、自転車を押すにしても思うほど進めません。足の踵で地面を踏ん張りながら進んだのですが足腰が痛くなるほどでした。

 あえぎながらも難解な道を乗り越えて、やっとの思いで本線に通じる道へ出ることができたのです。
 
 難解な道を走りながらも、やっとの思いで佐多岬入口に着きました。ところがゲートがあるため、そこから先の岬へ進むことが出来ません。自転車ですら通ることができません。

 鉄扉閉鎖ゲートには「営業時間 8:00〜17:00」の表示板が掲げてあります。いっそのこと、ここに自転車を置いて、歩いて往復したあとで清算しようかとも考えました。が、歩いて往復する時間を逆算すると結果として同じ時間になると判断。やはり開門するのを待つことにしたのです。

 この瞬間、雨の中を早朝から出発した意味が一瞬にして消えてしまいました。ここに着いたのが7時15分でしたから、45分間待ったことになります。なんとも大きな時間ロスになりました。

 8時の開門と同時に岬の先端近くにある駐車場まで自転車で進みました。駐車場に着くと、二人の男性と展望台まで歩きました。一人は、北海道函館から車で来られた私よりも3歳年上の男性で、もう一人が三重県から車で来られた方で、私と同年代で昨夜の道の駅で出会った男性でした。

 佐多岬を観光して「つまらないところ」と感想を聞くことがありますが、私はとても好きなところです。岬の先端に小島がありますが、その島の頂きに、ぽつりと立つ白亜の灯台が見て取れます。離れから見える景観は最高のロケーションです。

 観光の後、三人仲良く記念撮影もしました。

 観光を終えるとすぐこの場所を離れました。駐車場へ戻り、二人の方とお別れです。来る時が上りでしたので、帰りの料金所までは下りになります。

 駐車場を離れてすぐでしたが、野生ざるが路上をふさぐように群をなしているではありませんか。幸い下りでしたので勢いを付けて、「そこのけ!」と大声を出して突進です。するとボス猿でしょうか、勇敢にも吠えながら私を追いかけてきました。それにしても上りの時に猿がいなくて、良かった。内心、ほっとしたものです。このとき自転車にバナナを吊り下げていたのでなお更のことです。

 さて、この後、夜泊る予定の桜島内にある「道の駅桜島」まで行き着く必要があります。けっこう距離がありますので、暗くなるまでに着くためにも早朝に出発したわけです。とにかく走りました。あさ出た道の駅にたどり着いたのが、11時30分でした。ここでトイレ休憩をすると、駅長さんと再会したので言葉をかけた後、またすぐ出発でした。駅長さん:「早いですね」。

 目指す道の駅は、桜島のフェリーターミナルの手前にあります。昨夜の道の駅から、桜島までの道は、平坦だったので走りやすかったものです。

 桜島まで来ると、過去の噴火でできた溶岩で周辺一帯が覆われているのが見て取れます。眼前にそびえる桜島は、さすがにその存在感と迫力に圧倒させられたものです。慣れない者にとって、この道を通るのは、なんとも不気味さを感じるものです。

 初めは噴火をしていなかったはずの桜島ですが、突然、噴火を始めたので驚きました。白色噴火が天高く舞い上がりました。このとき初めて見た噴火ですが、桜島へ入り込むのは、最初で最後にしたい心境になったものです。

 道の駅にはとりあえず予定どおりの夕方に着くことができました。近くにあるコンビニで夕食の後、少し離れにある「国民宿舎レインボー桜島」にある温泉で入浴ができました。でもここは素晴らしいところです。

 夜は道の駅の正面玄関の軒下で雑魚寝をしました。


2010年10月01日(金)  <走行距離:93.22q>  <天気:雨、のち曇りから晴れ>  
<九州・日向灘側、周回11日目>
鹿児島市桜島横山町(道の駅桜島)〜鹿児島市街ドルフィンポート) <走行81日目>
 道の駅を6時30分に出発。桜島内湾を周回するコースを取りながら本線へ出た後、鹿児島港を目指しました。

 桜島も内湾(鹿児島湾)に面する側になると、若干のアップダウンがあります。それよりも、内湾側になるにつれ、より多く降灰になります。口内が砂でゲジゲジするのが分かります。それに「退避壕」とやらが、見られるようになります。おまけに過去、大噴火のあったことを物語る恐ろしい痕跡を目にしました。それは、神社の鳥居ですが、鳥居の上部を残してほとんどが溶岩で埋もれています。当時起きた大噴火が、いかにすさまじいものであったかについて、聞かなくても理解できるものです。

 このような噴火の痕跡を肌で感じながら通り抜ける訳ですから、一刻も早く脱出したくなる心境になります。でも、この地で生活されている皆さんは、ほんとに逞しい、と敬服の念を抱きました。私には生活できそうにありません。火山灰だけでも大変です。

 桜島を抜けて鹿児島市街が近くなると、一部区間で幅員の狭くなるところがあります。それとは正反対に交通量が多い上に大型車両も通ります。危険な区間がありますので、要注意です。

 この日は、特段のあてもなく、とにかく鹿児島港へ着けばなんとかなる、の感覚で目指しました。と申しますのも、港の近くで翌朝一番、弟と出会うことを約束していたことも理由のひとつでした。

 港に着くと、バスターミナルの近くに「ドルフィンポート」がありました(写真)。要するに道の駅の規模を拡大したようなものです。通路には板が敷き詰められていて、椅子もいくつか置かれていました。

 「ここが今夜の寝場所や」と決めて、早速、管理室を伺い事情説明しました。でも管理者でしょうか? その方が、「横になって寝ることは避けてください」と、きつい忠告です。でも、一人の警備員さんは、すごく理解のある方でしたのに、この夜、とても嫌な思いをすることになりました。


2010年10月02日(土)  <走行距離:2.87q>  <天気:晴れ>  
<九州・日向灘側、周回12日目>
鹿児島市街(ドルフィンポート)〜沖縄県本部港へフェリーで宿泊) <走行82日目>
 昨夜は、港の傍にある「ドルフィンポート」の屋根つきのテラスにある椅子に座り、一睡もせず夜を明かす結果になりました。

 確かに規則は規則です。それを守るべきであることも、承知しています。でも、状況に合わせた対応の仕方もあるはずです。すべてを杓子規定で処理すると、なんだか人情味がなくて味気ないものです。

 テラスにテントを設営してみたり、ごみを散らかせたり、大騒ぎをしてみたり等の迷惑行為はご法度です。でも勝手解釈になるかもしれませんが、状況判断で、時には穏便に取り図ることも必要ではないかと思いました。

 上司から命令された方法でしか仕事が出来ないなんて、あまりにも味気ないですよ。サービス業であることの基本を忘れてはいけませんか。結果責任ばかりを考えた仕事しか出来ないのは、実に情けない感じがします。

 と申しますのも、長椅子で横になってたところ「寝ないでください」と、まず一回目の忠告を受けました。そこですぐ一人掛けの椅子に移りました。そこで、あまりにも眠くなってきたので、テーブルに突っ伏すると、同じ警備員の方が巡回に来て、またもや「寝ないでください」の注意です。さすがに寝ることができません。

 それにしても、情けなんて全くありません。問答無用です。テント設営してる訳でもなく、床で寝ているわけでもありません。くどいようですがゴミを散らかしているわけでもありません。ましてやホームレスとして居座ろうとしているわけでもありません。

 旅人がそこで留まることは、食事も含めてその地でお金を使うことになるわけです。そのことを考えると、旅人を心からもてなす思いやりの心も必要です。旅の手段に差別はありません。お店も来客があるからこそ繁栄し、成り立つわけです。お店に来客が無くなれば、お店は破たんし空き家同然になります。

 もう一人の警備員さんは、その扱いがとても寛容でした。自身の裁量で仕事を処理するのも、ある意味その人の力量であると言えます。

 さて、沖縄へのアクセスは船です。この日の夕方8時ジャストに乗船して沖縄へ渡ります。乗船までの正午過ぎまでに近くにあるお風呂で入浴、洗濯も済ませておきました。準備万端です。夕食は、船内食を考えていましたので、鹿児島ではあえて夕食を済ませませんでした。

 船は予定どおり鹿児島港を出航。船内は多くの客で賑わっていました。夜は船内食です。食堂も満席でした。写真は、船内寝室です。